医療事故で亡くなった父と医療に助けられている私

ゆきのしんとは、子どもの頃、母が「〇〇のしんちゃん・ゆきのしんちゃん・〇〇のしんちゃん」と三姉妹を長々と呼んで遊んでいた時のものです。

・自分ではどうにもならないことは自分を生かすパワーに出来る
・好きなことが「ねばならないこと」になり、そしてまた好きなことになる

今回はそんなお話です。

 

それは防げない事故でした

私の父は若い頃、村の青年達と「蔵仲間」を結成。
ただの飲み会から派生して、幼児から高齢者まで集う村民大運動会やら海水浴場整備やら…父は小さな村の社会活動実践家でした。

その活動が村から市単位に拡大しつつあった49歳の時、自宅で吐血。
目立たぬようにと、救急車は呼ばず、知人の小さな病院に入院しました。
胃潰瘍でした。

市の活動のため早急に退院する必要があり、輸血をしたそうです。
その輸血で当時は防ぎようのない事故が起こりました。
(この数年後から、輸血液に放射線照射することでこれは激減しています)

それは輸血後移植片対宿主病(輸血後GVHD)といいます。
輸血の血液中のリンパ球(白血球)が父の体内で増殖し父のリンパ球はほぼゼロに、全身の臓器が破壊されていきました。
免疫不全者や近親間輸血で稀に起こりやすく、父の場合は更に稀で、暫く診断がつきませんでした。

これは発症後2-3週間で99%死亡します。
市民病院転院後、遠隔で2つの大学・研究所と連携し、小さな病院の院長も毎日訪ねてくれました。
無菌室で顔も見れないのに友人・親戚も毎日毎日…自宅でも毎日誰かが家事をしてくれて、中学3年生の妹のことも助けてくれました。

当時、大学1年生の6月だった私は中途半端でした。
週末だけ帰省し、病状を話されても大して分からず。
でもそのキーワードを大学の先輩や先生に伝えた時の表情で「あ、これは本当にダメかもしれない…」と察しました。
怖すぎて実家に帰れませんでした。
亡くなった時間はバイトをしていて、ふと時計に目を向けた時間でした。
未だに、毎年6月は苦手です。

それから20年以上経ち、今年の命日は初めて、その日その時間を心から楽しむことが出来ました。
偶然フライトがずれて命日と重なり、家族旅行を最高に楽しんでいた瞬間の写真は父が亡くなった時間でした。
上の画像がそれです。

 

葛藤が道を拡げてくれました

ある日、この体験を話した時「それは信じていた仲間に大切な人を殺されたような気持になったでしょう」と言われ、ハッとしました。

父との最後の会話は「(看護は)自分が選んだ道だからがんばりなさい」でした。
だから一生懸命頑張ってきました。
でも、看護・医療の世界にどっぷり居ることは辛くて出来ませんでした。

「病院の先生たちを恨むんじゃないよ」
まだ意識があった頃、父が母達に伝えたそうです。

誰も悪くないことは分かっています。
医療を知れば知るほど理解できるようになります。
誰の事も恨んでいないけれど、、、でも、その場には居られないのです。

父の事が無ければずっと続けていたかもしれないくらい、病棟ナースのお仕事は本当に充実していましたが、予定より早めに予防・健康増進の分野にキャリアチェンジしました。

心のどこかでずっと、看護・医療の無力さを訴えていました。
看護師である自分をどこかでずっと否定していました。

一生懸命がんばりたい、でもその道は結局意味がないと諦めている。

でも、その中途半端な気持ち・葛藤のおかげで、心理や代替療法等にまで興味が拡がりました。
どこにも居場所を持てないことが、自分だけの道を探すきっかけになったのだと思います。

 

転機の時は泣き続けでした

明確な転機は、サプリメントだったと思います。

サプリの勉強を始めた時、生化学や薬理学とかメチャクチャ嫌でした、思い出すから。
でももう逃げたらいけない気がして、泣きながら向き合いました。

フワっとした私の仕事内容を整理するよう教えてもらったときも、向き合うのがメチャクチャ怖かった。
吐きそうになりながらビジネス系の勉強をしはじめ、整理しました。

だんだん面白くなってきました。

そしてしてやっと気づきました、私のベースは結局「看護」だと。

泣きながら向き合っていたのは、自分を否定してきた自分だったのかもしれません。
単に、本当に好きだったものが嫌いになってしまった現実を恨んでいたのかもしれません。

そして、とても賢く美しい教え子・後輩に「先生はなんでこんな変わった働き方をしているの?」とピュアに尋ねられ、誰もフォロワーの居ない道を黙々と開拓している自分を初めて客観視して、笑いました。
真面目で可愛いなぁ…と。

私は、どうにもならないことを抱えながらも、だれかのために自分の持つ力を活かそうと頑張っている人が好きです。
そういう人に出会うと、ものすごく嬉しくなり、生きる勇気をもらいます。

きっとすべての人がそうだと思います。

 

私が私を助けてくれました

今でも結局、黙々と開拓しているので毎日チャレンジばっかり。
ドキドキ緊張したり、新発見が無いような日はありません。

どうしようもないくらい凹んだ時に
「私みたいなカウンセラーが欲しい… どんなときにも希望を見出してくれる私みたいなカウンセラーがほしい…」と心から思いました。
自分でびっくりしました。そして回復出来ました。

希望は自分が自分に見出すものだと思います。

 

看護 Nursing とは。

「自分が一番自分の助けになる」
看護 Nursing は、こうした「セルフケアの力」を育みます。

授乳室を Nursing Room というように、看護 Nursing とは育むこと
「看」の字は手と目。
看て感じ、必要なところに手を差し伸べ、自分の力で生きられるまで護ること

これは全ての人が全ての人に対して日常的に実践出来る技です。

そんなわけで。
私はこれからも看護師として保健師・カウンセラーをしていきますし、
看護・医療のすばらしさを表現することで、私を育ててくれた看護・医療に恩返しをしていきたいと思っています。

お父さん、最高のプレゼントをありがとう!

 

シェアは正義だよ。

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ABOUTこの記事をかいた人

看護系大学卒業後、看護師・保健師として従事し独立。現在はIT・アパレル系中小企業にてカウンセリングを中心に活動中。特技は心身の不具合を見つけること、趣味は女子トーク、チャームポイントは秘めた母性です!